世界大百科事典(旧版)内の鄭訳の言及
【雅楽】より
…西域系,朝鮮系の諸楽に中国俗楽を加えた七部伎,のちの九部伎および唐初に完成された十部伎は公式の宴饗楽として用いられたが,雅楽の範囲には入らない。しかしこのころ,楽官鄭訳(ていやく)(540‐591)は西域の七調に基づき,七声がそれぞれ主音となって七つの音階(七調)をなし,七調が十二律によって八十四調を生ずるという理論を想定し,これは唐代の雅楽にとり入れられた。 唐朝(618‐907)初代高祖は626年(武徳9)祖孝孫に命じて七声十二律八十四調の理論を採用させ,〈十二和之楽〉を制定して郊廟,宗廟,先蚕の祭,殿庭の朝会などに演奏した。…
【中国音楽】より
…そして唐の玄宗期(8世紀)に至って,立坐二部伎,十四楽を数え,有名な教坊,梨園の数千に及ぶ楽人舞人により上演され,極点に達した(燕楽)。その間,隋朝では鄭訳(ていやく)らが胡楽楽理を中国のものに合わせようと,十二律の全半音に7音音階のすべてを組み合わせた八十四調の理論を提出した。唐朝になって,その中から俗楽二十八調として実用に供した。…
【調】より
…こうして均は12均ありそのすべてに7調を生ずると84調が得られる。この八十四調の理論は,亀茲(きじ)の楽人蘇祇婆(そぎば)がインド起源の七調理論を中国にもたらし,それに基づいて隋の鄭訳が582年(開皇2)に雅楽のために宮廷の楽議にはかったものである。しかし,実用に移したのは唐代からであり,さらに実際に用いられた調はこれより少ない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」