世界大百科事典(旧版)内の采女ヶ原馬場の言及
【馬場】より
…中山安兵衛の仇討で知られるが,享保期(1716‐36)には8代将軍吉宗が流鏑馬を盛大に行ったことでも有名である。また享保期,火災焼失後の明地に作られた木挽町(現在の東銀座付近)の采女ヶ原(うねめがはら)馬場は,地の利がよかったことから,馬場周辺が歓楽地としておおいに発展した。【玉井 哲雄】。…
※「采女ヶ原馬場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...