世界大百科事典(旧版)内の里亭皇居の言及
【皇居】より
…この平安内裏は,960年(天徳4)村上天皇のとき初めて焼亡し,以後焼失と再建を繰り返して鎌倉中期に及んだが,1227年(安貞1)後堀河天皇のとき焼亡廃絶した。この間,内裏焼亡のたびに後院(ごいん)(離宮の一種)や臣下の殿第が仮皇居とされたが,仮皇居の使用が頻繁となるに伴い,内裏の有無にかかわらず,別に皇居として造作された殿第も出現し,里亭(第)皇居と呼ばれた。これら仮皇居・里亭皇居を大内=平安内裏に対して里内とか里内裏(さとだいり)と称したが,里内裏も平安京域を出ないのを原則とした。…
【里内裏】より
…平安宮の外に平安京街に設けられた皇居。今内裏,里亭皇居,里内(さとだい)などの称もあるが,とくに大内(だいだい)と併称して里内の称が多く用いられた。 960年(天徳4)平安内裏がはじめて焼亡すると,村上天皇は累代の後院(ごいん)(離宮の一種)である冷泉(れいぜい)院に移ったが,976年(貞元1)ふたたび内裏が焼失し,円融天皇は太政大臣藤原兼通の堀河第に移って約1年間これを皇居とした。…
※「里亭皇居」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」