朝日日本歴史人物事典 「重清村秀」の解説
重清村秀
江戸中期の阿波国(徳島県)重清村百姓与右衛門妻。女性の義民。宝暦年間(1751~64,あるいは文化年間ともいう),重清村の庄屋西岡氏は不正な枡で年貢を徴収するなどしていた。この不正を正すために徳島城下で藩主に駕籠訴を行い,不正は正され,庄屋は退役となったが国法に従って死罪に処された。また本来は夫の与右衛門が直訴を行う筈であったが,讃岐国から入婿したばかりであったため,気丈な若妻である秀が代わって直訴したとされる。夫の与右衛門は追放刑となったが,秀の四十九日の法会に参加したあと自害した。義民物語として伝えられるが,確かな史料は存在しない。また物語の中には直訴した人を与右衛門とするものもある。
(保坂智)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報