世界大百科事典(旧版)内の重要産業団体令の言及
【事業者団体】より
…その後,第1次大戦後の恐慌のもとで生産制限の色彩が濃い重要産業統制法が1931年に制定された。さらに38年の国家総動員法に基づいて41年重要産業団体令が制定され,やがて戦時体制のもとで事業者団体は国家による産業統制の下部機構となった。第2次大戦後には,統制団体の解散,その根拠法規の改廃が行われ,それとともに47年の独占禁止法,48年の事業者団体法の制定により私的統制団体の禁止,事業者団体の規制が行われた。…
【太平洋戦争】より
…
[経済と国民生活の状況]
日中戦争勃発後に本格化した戦時統制経済は,国家総動員法(1938年4月1日公布)を“てこ”として発展していたが,太平洋戦争開戦を契機に経済と国民生活に対する統制が一段と強化された(統制経済)。まず重要産業団体令(1941年8月30日公布)に基づき,1942年(昭和17)8月までに22の重要基幹産業部門に統制会が設立され,会長には財界人が就任し,企業整備令(1942年5月13日公布)により中小企業の整理統合と下請企業化が推し進められ,ここにファシズム型戦時国家独占資本主義体制が完成した。さらに食糧増産をめぐって寄生地主制と独占資本主義との矛盾も表面化した。…
【統制会】より
…1941年8月国家総動員法にもとづいて公布された重要産業団体令により,各産業別に組織された戦時下の産業統制機構。1940年7月の第2次近衛文麿内閣成立以降,新体制運動が展開され,経済団体の再編成はとくにその焦点となった。…
【統制経済】より
…そして40年11月,企画院は〈資本と経営の分離〉〈利潤制限〉〈産業別統制機構の整備〉などを主要内容とする経済新体制確立要綱の原案を閣議に提出したが,財界,旧既成政党,小林一三商相らの強硬な反対にあい,大修正を加えて経済団体にのみ指導者原理を導入するということで,12月に公布された。この経済新体制の発足に照応して,翌41年3月には国家総動員法が大幅に改正され,それにもとづいて同年8月には重要産業団体令が公布された。これは財界などの反対にあって骨抜きにされた経済新体制確立要綱原案の具体化として,国家総動員法18条にもとづく勅令である。…
※「重要産業団体令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」