…天皇は24年(正中1)に討幕を計画して失敗したが(正中の変),幕府の内部事情も手伝って苦境をのりきり,なおも政権の座にとどまっていた。しかし天皇の討幕の決意は固く,政権の奪回に懸命な持明院側から26年(嘉暦1)に病没した邦良皇太子のあとに量仁(かずひと)親王(後伏見上皇の皇子)が立つに及んで,再度の討幕計画が具体化した。天皇は意欲的に施政につとめ政権担当者としての権力を強化する一方,尊雲法親王(護良親王)を天台座主に据えたり,聖尋僧正や円観を重用することなどによって天台・真言両宗系の僧兵を掌握することにつとめた。…
※「量仁親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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