世界大百科事典(旧版)内の釜屋間歩の言及
【石見銀山】より
… 16世紀中ごろ中国船,ポルトガル船の来航により,九州沿岸を取引地とする外国貿易が盛大となるが,輸出の中心となったのは銀であり,当時他の大銀山の開発はまだ見られず,石見銀が主としてこれに充当された。16世紀後半には1ヵ年の産銀は2t内外にも達したと思われるが,長安が奉行となったころより産銀が激増し,山師安原知種が稼行した本谷の釜屋間歩(まぶ)からの運上銀が1ヵ年に13.5tに及んだという。銀山の表入口の蔵泉寺口を入ると銀山町があり,西端の坂根口までつづいた。…
※「釜屋間歩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」