世界大百科事典(旧版)内の釣瓶ずしの言及
【すし(鮓∥鮨)】より
…アユずしは全国的に分布し,馴れずしから生成へと変化し,さらに早ずしになったものが多い。《義経千本桜》で知られる奈良県吉野下市(しもいち)の〈釣瓶(つるべ)ずし〉はつるべ形の桶に漬けこんだアユの生成の一種である。大阪,和歌山の小ダイの雀(すずめ)ずしは,もとは江鮒(えぶな)(ボラの幼魚)の胸びれを翼のように左右に広げて漬けた生成であったが,天明(1781‐89)以後は,なまぐさく皮のかたい江鮒に変えて小ダイにし,さらにそれが箱ずしになったものである。…
【鮨屋】より
…江戸時代になって屋号のはっきりした店が現れてくるが,初期にはまだすし屋は少なかったものと見えて,1687年(貞享4)刊の《江戸鹿子》が挙げているのは,旧日本橋魚市場内の横町の一つ,舟町横町にあった近江屋,駿河屋の2軒だけである。1747年(延享4)の《義経千本桜》初演以後,吉野下市の釣瓶(つるべ)ずし屋の名が急速に広まった。釣瓶ずしの名は室町後期から散見されるが,この家は江戸初期にすし専業になり,代々当主が弥助を称したので,〈弥助鮓〉ともいった。…
※「釣瓶ずし」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」