鈴木三郎重家(読み)すずきさぶろうしげいえ

世界大百科事典(旧版)内の鈴木三郎重家の言及

【高館】より

…幸若(こうわか)舞の曲名。上演記録の初出は1545年(天文14)(《言継卿記》)。源義経主従が奥州の高館で討手の軍勢を待ちうけながら開いた宴のさなかに,熊野より鈴木三郎が到着する。義経より佐藤兄弟の残したよろいをたまわった鈴木は,たずさえた腹巻の由来を物語り,これを弟の亀井六郎に譲って,翌日の合戦では兄弟ともに奮戦して果てる。弁慶は舞を一番舞って,敵(かたき)の中を斬ってまわるが,やがて痛手を負い,義経と辞世の歌をかわした後,衣川(ころもがわ)のあたりで立往生する。…

【源義経】より

…秀衡のもとに着いた義経一行はその庇護を受けるが,やがて秀衡が死に,頼朝に屈した子の泰衡は衣川の館に義経を攻める。衣川の館にはるばる駆けつけた鈴木三郎重家,その弟の亀井六郎重清,片岡八郎,鷲尾三郎,増尾十郎,伊勢三郎,弁慶らは奮戦するが,弁慶は立往生をとげ,義経も自害する。この合戦の日の朝には常陸坊海尊が逃走する。…

※「鈴木三郎重家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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