世界大百科事典(旧版)内の鎮南関事件の言及
【友誼関】より
…明の洪武年間(1368‐98)に左右の岩山の間の谷に関が設けられたが,中法(清朝とフランス)戦争,抗日戦争のたびに破壊・焼失した。1907年(光緒33)孫文みずから指揮する中国同盟会軍が,この要塞を攻撃し,武器弾薬を奪取し人心の高揚をはかった,いわゆる〈鎮南関事件〉の舞台となった。65年に城門と3層の花コウ岩の建物が建てられ,ベトナムとの友好と団結を表す意味で友誼関に改称された。…
※「鎮南関事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」