世界大百科事典(旧版)内の長塩元親の言及
【大山荘】より
…応仁の乱(1467‐77)後は武家代官による20貫文の請負が行われたが,実際の納入額はその半分程度であった。1508年(永正5)討死した中沢元綱の代りに新たに代官に任ぜられた進藤元弘が,丹波地方に大きな勢力をもつ波多野氏配下の長塩元親に退けられたことにより,東寺領としての大山荘は消滅した。【馬田 綾子】。…
※「長塩元親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…応仁の乱(1467‐77)後は武家代官による20貫文の請負が行われたが,実際の納入額はその半分程度であった。1508年(永正5)討死した中沢元綱の代りに新たに代官に任ぜられた進藤元弘が,丹波地方に大きな勢力をもつ波多野氏配下の長塩元親に退けられたことにより,東寺領としての大山荘は消滅した。【馬田 綾子】。…
※「長塩元親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新