世界大百科事典(旧版)内の長崎盛綱の言及
【長崎氏】より
…鎌倉時代の北条氏嫡流(得宗)の有力被官家。桓武平氏。北条泰時の被官関実忠の弟平盛綱が長崎を称したのにはじまる。盛綱は1234年(文暦1)尾藤景綱のあとをうけて北条泰時の家令となり,経時・時頼にも仕えた。その子頼綱は続く時宗・貞時の家令としてその権勢を極め,85年(弘安8)には幕府御家人の最有力者安達泰盛を謀殺(弘安合戦)。しかしその専権は長くは続かず,93年(永仁1)貞時の攻撃をうけて一党は没落(平禅門の乱),かわって頼綱の弟(一説には甥)長崎光綱の子孫が台頭した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」