世界大百科事典(旧版)内の長谷部派の言及
【山城物】より
…山城物の中で最も繁栄したのがこの来派で,他国への影響力も大きく,来国長は摂津中島へ移り,来国俊の門人国村は肥後の地に延寿派を開き,また来国俊の子了戒の末葉は筑紫の地に移住し,それぞれ地方鍛冶の祖となっている。南北朝時代には了戒の系統をひく信国派と本国を大和という長谷部派がつづき,その初代信国と初代長谷部国重は,それぞれ相州貞宗,相州正宗の門人と伝え,ともに相州物の影響を強く受けた作を残している。室町中期以降は長い戦乱のためか,洛中に三条吉則,三条長吉,洛外の鞍馬派や達磨派などが知られる程度である。…
※「長谷部派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」