朝日日本歴史人物事典 「長野義言」の解説
長野義言
生年:文化12(1815)
江戸後期の国学者。彦根藩(滋賀県)藩士。通称主馬,のち主膳,号桃廼舎。義言は名。伊勢国の出身とされるが出石藩(兵庫県)仙石左京の子,肥後の阿蘇大宮司の一門長岡家の出など別説もある。本居宣長・春庭の学を慕い,天保12(1841)年近江国坂田郡志賀谷村(滋賀県坂田郡山東町)に高尚館を開き,彦根藩井伊直弼と知り合う。一時京都に出て堂上方に出入りもした。嘉永5(1852)年,藩主となった直弼に招かれ藩校弘道館国学方となり,のち系譜方を務めた。直弼が大老となるとその側近として活躍,尊攘派志士弾圧に力を尽くした。文久2(1862)年5月井伊直憲より加増されたが,同年8月24日,事に座して禁固処分に付せられ,27日斬刑を受け,家名断絶された。
(飯倉洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報