日本大百科全書(ニッポニカ) 「長野主膳」の意味・わかりやすい解説
長野主膳
ながのしゅぜん
(1815―1862)
江戸後期の彦根(ひこね)藩士、国学者。初め主馬(しゅめ)、諱(いみな)は義言(よしとき)、号は桃廼舎(もものや)。250石。伊勢(いせ)生まれというが、その出自は不明。国学を講じながら妻多紀(たき)とともに諸国を遊歴し、1841年(天保12)近江(おうみ)国坂田郡志賀谷(しがや)村(滋賀県米原(まいばら)市志賀谷)に高尚(こうしょう)館を開く。翌年その名声を聞いた当時埋木舎(うもれぎのや)住まいの井伊直弼(なおすけ)が入門し、50年(嘉永3)彦根藩主となるに及んで、52年4月弘道館(こうどうかん)国学方二十人扶持(ぶち)で召し抱えられた。国学、歌学に長じていたのみならず、直弼が大老に就任するやその懐刀的存在として敏腕を振るい、安政(あんせい)の大獄に関与した。62年(文久2)の政変で8月27日斬罪(ざんざい)に処せられた。著書に『古学答問録』『沢之根世利(さわのねせり)』『桃廼舎歌集』など多数がある。
[藤田恒春]
『東京大学史料編纂所編『井伊家史料』既刊25冊(1959~ ・東京大学出版会)』▽『吉田常吉著『井伊直弼』(1963・吉川弘文館)』