開成石経(読み)かいせいせっけい

世界大百科事典(旧版)内の開成石経の言及

【西安碑林】より

…もとは孔子をまつった文廟の後方にあったが,今日では文廟全体が博物館となり碑林も拡張されている。現位置に文廟が建てられたのは,唐末の天祐1年(904)に地方長官の韓建が戦乱のため荒廃した長安城を縮小再興したときで,同時に国子監(唐の国立大学)にあった開成石経(唐の開成2年(837)に完成した儒教経典の石刻)を保存する目的で作ったのが碑林だといわれる。しかし,韓建が文廟を建てたのは実は別の場所で,宋の元祐5年(1090)そこから現位置に移り,碑林も整備されたとする説が有力である。…

【石経】より

…全部で27石ばかり,やはり洛陽の太学門前に立てられたが,漢石経と同じ運命をたどった。(3)唐石経 起工から5年目の開成2年(837)に完成し,国都長安の国子監に立てたので開成石経ともいう。内容は《易》《書》《詩》《周礼》《儀礼》《礼記》《左氏伝》《公羊伝》《穀梁伝》の9経に《孝経》《論語》《爾雅》を加えた12経で,鄭覃(ていたん)の指導により楷書で書かれた。…

※「開成石経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」