開皇の治(読み)かいこうのち

世界大百科事典(旧版)内の開皇の治の言及

【文帝】より

…これを不満とする実力者尉遅廻(うつちけい)らの挙兵も失敗し,楊堅は相国・随王そして翌581年2月に,静帝の譲りを受けて位につき,随より辵(しんにゆう)を除いて国号とし,元号を開皇と定め長子楊勇を皇太子に立てた。学問・教養は薄かったが,諡(おくりな)文皇帝にふさわしく,李徳林高熲(こうけい),蘇威といった有能な官僚を用いて内政につとめ,〈開皇の治〉と称される文運隆々たる時代を現出した。 彼の治績中とりわけ注目されるのは589年(開皇9)の南朝併合であり,南北統一国家にふさわしい中央集権化のため中央官制・地方行政制度の整備改革に腐心している。…

※「開皇の治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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