関三刹昇住制(読み)かんさんさつしょうじゅうせい

世界大百科事典(旧版)内の関三刹昇住制の言及

【永平寺】より

…1615年(元和1)江戸幕府より〈永平諸法度〉が下され,総持寺とともに曹洞宗総本山の規標を立てるに至り,61年(寛文1)には50石,76年(延宝4)には70石が安堵された。江戸期を通じて永平寺住持は,下野大中寺,下総総寧寺,武蔵竜穏寺の3ヵ寺より交代で晋住する関三刹昇住制をとり,幕末まで続いた。永平寺の伽藍は,そのほとんどが近年の建築物であるが,山門,仏殿,法堂,僧堂,庫院,浴司,東司の七堂伽藍が天童山を模して配備されており,宋代叢林の様式をよく伝え,現在も古規にのっとった修行生活が続けられており,また一般参拝者でにぎわっている。…

※「関三刹昇住制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む