関三刹昇住制(読み)かんさんさつしょうじゅうせい

世界大百科事典(旧版)内の関三刹昇住制の言及

【永平寺】より

…1615年(元和1)江戸幕府より〈永平諸法度〉が下され,総持寺とともに曹洞宗総本山の規標を立てるに至り,61年(寛文1)には50石,76年(延宝4)には70石が安堵された。江戸期を通じて永平寺住持は,下野大中寺,下総総寧寺,武蔵竜穏寺の3ヵ寺より交代で晋住する関三刹昇住制をとり,幕末まで続いた。永平寺の伽藍は,そのほとんどが近年の建築物であるが,山門,仏殿,法堂,僧堂,庫院,浴司,東司の七堂伽藍が天童山を模して配備されており,宋代叢林の様式をよく伝え,現在も古規にのっとった修行生活が続けられており,また一般参拝者でにぎわっている。…

※「関三刹昇住制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む