阿部裕軒(読み)あべゆうけん

世界大百科事典(旧版)内の阿部裕軒の言及

【阿部正弘】より

…幕末期の老中。福山藩主阿部正精の六男。字は叔道,号は裕軒。伊勢守を称する。1836年(天保7)藩主の兄正寧が隠居した後をうけ福山藩10万石を襲封した。その後,奏者番,寺社奉行を務め,43年に老中に就任し,45年首席老中となった。53年アメリカ使節ペリーの開国要求に対し,諸大名,幕臣に諮問して衆議制の端緒を開き,54年(安政1)日米和親条約(神奈川条約)を締結した。正弘は幕府と徳川斉昭,松平慶永,島津斉彬ら有力諸侯との協調路線をとり,従来の幕政の姿勢を転換した。…

※「阿部裕軒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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