附倭(読み)ふわ

世界大百科事典(旧版)内の附倭の言及

【文禄・慶長の役】より

…朝鮮国王の宣祖は漢城を放棄して北方へ逃避し,5月初め,一部の反対を押し切って明に救援を要請した。 緒戦における日本軍の勝因としては,(1)当初,朝鮮の地方長官や軍隊の指揮官の多くが日本軍に抵抗せず,戦争を回避したり逃亡したこと,(2)日本軍は戦国時代を経て戦争になれていたうえ,朝鮮側にない鉄砲(鳥銃)を使用したこと,(3)朝鮮政府の封建的支配に不満を抱く民衆や軍卒の間に,朝鮮の支配層に対する反抗や日本軍への協力(附倭)が現れ,当初,民族的結集に困難が生じたこと,などがあった。しかし海上では,92年5月から李舜臣の率いる朝鮮海軍が活躍し,5月末には亀甲船(きつこうせん)も登場,92年7月の海戦で日本海軍は大敗北をこうむった。…

※「附倭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む