世界大百科事典(旧版)内の陳守度の言及
【チャン・カイン】より
…リ(李)朝恵宗の外戚,輔国太尉チャン・トア(陳承)の次子。リ朝の衰退に乗じて勢力を得たチャン・トアの弟チャン・トゥ・ド(陳守度)の策謀によって即位し,リ朝に代わってチャン朝を開いた。チャン・トゥ・ドは殿前指揮使として禁軍を掌握した後,恵宗に迫って位を6歳の次女昭聖公主に譲らせ,即位して昭皇となった幼女に同年の甥カインを祗侯正として入侍させた。…
【チャン朝】より
…リ朝末期,権臣のクーデタにより南方に亡命していたリ・フエトン(李恵宗)をチャン・リ(陳李)が保護し,これに娘(元妃)をめとらせ,さらにハノイを奪還して帝位につけたことから急速に勢力を拡大した。リ朝末の内乱期には一族のチャン・トゥ・ド(陳守度)が殿前指揮使となって各地の土豪を討伐し,さらにリ朝最後の皇帝ティエウホアン(昭皇)を甥のチャン・カイン(陳煚(ちんけい),後のタイントン(太宗)。在位1225‐58)と結婚させ,ついにカインに譲位させた。…
【リ朝】より
…在位1175‐1210)の時には沿海部に勢力をもつチャン(陳)氏の台頭を許した。1224年,チャン・トゥ・ドTran Thu Do(陳守度。1193‐1264)は8代フエトン(恵宗)に強請してその次女チエウホアン(昭皇)に譲位させ,彼女を自分のおいのチャン・カインTran Canh(陳煚(ちんけい))に嫁がせてリ朝を滅ぼした。…
※「陳守度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」