隴右道(読み)ろうゆうどう

世界大百科事典(旧版)内の隴右道の言及

【甘粛[省]】より


[歴史]
 この地方は古く秦代には,黄河と蘭州付近でこれに合流する洮河の線が漢族文化圏の北西境であったが,漢代,武帝が回廊地帯を支配下に収め,河西四郡といわれる武威,張掖など四つの郡を置いた。唐代にはこれは隴右道と称したが,しかし,この地域における漢,モンゴル,チベットなど諸族間の争いが絶えず,8世紀にはチベット族の吐蕃が回廊地帯を支配したり,11~13世紀にはタングート族の西夏が今日の甘粛省の大半をその勢力下に収めたりした。その後,西夏を滅ぼした元朝は,ここを陝西行省としたが,明代をへて清代の1666年(康熙5)その西部が甘粛省として分離し,蘭州を省都とした。…

※「隴右道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む