世界大百科事典(旧版)内の《集議院日誌》の言及
【公議所】より
…したがって以後は集議院で建白を受理することとなり,議員中より12名の幹事を選び交代で取り扱わせた。議事は《集議院日誌》として逐次刊行され,1869年分が7冊,70年分が5冊に達した。70年9月以後開院されず有名無実化し,71年8月20日左院の管轄となり,73年6月24日廃止され,その事務は左院が取り扱うこととなった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」