難波大道(読み)なにわのおおみち

世界大百科事典(旧版)内の難波大道の言及

【丹比道】より

…丹比道の前身については,《日本書紀》仁徳天皇14年条に,難波高津宮の南門から丹比邑に至る道を敷設したとの記事が注目される。しかしこの記事は,孝徳朝ないし天武朝に難波宮の朱雀大路を金岡神社に至るまで延長して敷設された〈難波大道〉(その一部分が発掘調査により検出され,〈難波大道〉と名付けられた)に基づいて,潤色された記事の可能性が大である。なお丹比道については,大阪府松原市の式内阿麻美許曾神社付近から,羽曳野市の大座間池に至る斜向道路であった可能性も指摘されている。…

【道】より

…直線古道は現在までのところ,大和と河内においてのみ確認されている。すなわち大和では東西道の横大路,南北道の上ッ道・中ッ道・下ッ道であり,河内では東西道の大津道丹比道(たじひみち),南北道の難波大道である。これらの諸道は難波大道を除いて,すべて《日本書紀》の壬申の乱の記事中にその名が見えているので,672年(天武1)以前に敷設されたことが確実である。…

※「難波大道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」