世界大百科事典(旧版)内の霊山式銅鼓の言及
【銅鼓】より
…この年代観の差には銅鼓の起源を一源とみるか多源とみるかの問題もかかわっている。霊山式銅鼓も広西チワン族自治区,広東省内に広く分布するが,北流式よりは西方に分布の中心がある。広西チワン族自治区岑渓発見銅鼓の五銖銭文と,霊山県緑水村出土銅鼓と伴出した開元通宝から,霊山式は後漢以降唐・宋期に及ぶと考えられている。…
※「霊山式銅鼓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…この年代観の差には銅鼓の起源を一源とみるか多源とみるかの問題もかかわっている。霊山式銅鼓も広西チワン族自治区,広東省内に広く分布するが,北流式よりは西方に分布の中心がある。広西チワン族自治区岑渓発見銅鼓の五銖銭文と,霊山県緑水村出土銅鼓と伴出した開元通宝から,霊山式は後漢以降唐・宋期に及ぶと考えられている。…
※「霊山式銅鼓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...