世界大百科事典(旧版)内の露壇の言及
【壇】より
… 祀天祭地をはじめ,古代中国の祭祀制度には自然信仰の面がつよく,歴代王朝が建設した壇もその内容を反映している。実際の建築としては,祭祀,跪拝を行う本来のかたちの露壇と,空間構成をもつ建築群からなる祠廟という両種の形態をとる場合があるが,一般にこれらを併せて壇廟と総称することが多く,天壇,地壇,日壇,月壇および社稷(しやしよく)壇,水・火・山・川の壇,あるいは城隍(じようこう)廟,土地廟,四瀆(しとく)や五岳の廟,先蚕廟,風・雲・雷・雨諸神の廟などが建設された。歴史を通じて重要な儀礼とされた天子祀天の壇は,泰壇,郊壇,郊丘,郊兆,圜丘(えんきゆう),円丘,天壇等とよばれ,都城の南郊に設けられるのが原則で,前漢の成帝が前32年(建始1)に長安に築いたのをはじめ,歴代王朝の多くが建設したが,規模,形式は一定ではない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」