世界大百科事典(旧版)内の露蒙協定の言及
【キャフタ会議】より
…だが翌年成立した中華民国はこの独立を認めず,一方モンゴル側から援助を求められたロシアは中国宗主権下での外モンゴル自治の形成と外モンゴルにおける経済権益獲得をめざした。ロシアは問題解決のためまずボグド・ハーン政権と〈露蒙協定〉(1912)を締結,その自治を承認する一方経済権益を得た。ついで中国と〈露中宣言〉(1913)をとりかわし,中国の外モンゴルへの宗主権を認めるかわりに外モンゴルにおける経済権益を承認させた。…
【モンゴル】より
… 同年10月辛亥革命により清朝が倒れると,ハルハの王公・仏教僧は独立を宣言,ウルガ(ウランバートル)の活仏ジェブツンダンバ・フトクト(ボグドゲゲン)を皇帝とするボグド・ハーン政府を樹立した。ボグド・ハーン政府は内モンゴルをも含めた大モンゴル国建設をめざしたが,ロシアは当時の国際情勢を考慮し,中国宗主権下で外モンゴルに自治を行わせることで問題を収拾しようとして,まずボグド・ハーン政府と〈露蒙協定〉(1912年11月)を結び,ついで中国との間で〈露中宣言〉(1913年11月),最終段階として関係3国による〈キャフタ協定〉を15年6月に調印した。この協定により,ボグド・ハーン政府は中国宗主権下の外モンゴル自治政権として承認された。…
※「露蒙協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」