青堂羌(読み)せいどうきょう

世界大百科事典(旧版)内の青堂羌の言及

【青唐】より

…当時,オルドス南部より以西,黄河上流域にかけてチベット系の諸部族が散在し,宋ではこれらを吐蕃と総称した。宋,西夏,遼の対立抗争に刺激をうけた吐蕃では統一運動がおこり,青唐方面のチベット族(青堂羌(せいどうきよう)ともいった)の領袖らは,西部のおそらくマルユルと思われる地方から吐蕃王朝の末裔である唃厮囉(こくしら)を迎えて基礎固めを行った。西夏の興起により,オルドス―河西ルート―中央アジアという交通路の使用が困難となったので,青海省方面を通ずる中央アジアへの交通が盛んとなり,ために青唐方面は東西交通,貿易の要衝として栄えた。…

※「青堂羌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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