青年ポーランド(読み)せいねんぽーらんど

世界大百科事典(旧版)内の青年ポーランドの言及

【青年イタリア】より

…この対立を通して青年イタリアの運動にはナショナリズムの性格が強められた。サボイア蜂起は失敗に終わるが,計画に加わったポーランド,ドイツの活動家の間で,それぞれ青年ポーランド,青年ドイツがつくられ,34年4月これらナショナリズム運動の連帯のための青年ヨーロッパが結成された。マッツィーニはその後,スイスを経て37年ロンドンに亡命地を移し,この地で接したチャーチスト運動から労働者の組織化の必要を学び,青年イタリアの一部門としてイタリア労働者連合を設立する。…

※「青年ポーランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む