世界大百科事典(旧版)内の青江鍛冶の言及
【備中国】より
…なかでも新見荘はもと本所職(ほんじよしき)を最勝光院(領家職は官務家小槻(おづき)氏)とする皇室領で鎌倉末期に東寺に寄進された荘園であるが,その関係文書の多いことでは東寺領播磨国矢野荘と双璧をなし,とくに1271年(文永8)の領家方正検帳,1325年(正中2)の地頭方実検取帳が案文(写し)ではあるがそろっている点は貴重であり,また筆まめな寺家の直務(じきむ)代官祐清(ゆうせい)や田所金子衡氏(かなごひらうじ)(もと安富氏の被官古屋弾正左衛門尉衡氏)の多数の詳細な書状が〈東寺百合(ひやくごう)文書〉に含まれていて,解体期荘園の苦難に満ちた実情をよく示してくれる。 中世備中の名産としては《庭訓往来(ていきんおうらい)》に〈備中鉄〉があげられており,備中青江には青江鍛冶と呼ばれる刀鍛冶がいた。吉岡銅山は日本有数の銅山として知られ,山間部では紙生産が盛んで,鎌倉末期ごろから〈備中檀紙(だんし)〉の名が高かった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」