《青銅の騎士》(読み)せいどうのきし

世界大百科事典(旧版)内の《青銅の騎士》の言及

【プーシキン】より

…〈年少の〉小貴族に与えられる名誉は詩人にとって屈辱であった。世俗権力との衝突の中でプーシキンは歴史的な視野を拡大していき,ピョートルの功業をほめたたえつつ,その犠牲になったペテルブルグの小市民の悲劇を描いた叙事詩《青銅の騎士》(1833),ゴーゴリやドストエフスキーの〈ペテルブルグ物〉の先駆けといえる小説《スペードの女王》(1834),レールモントフの《現代の英雄》やトルストイの《戦争と平和》の原型ともなった歴史小説《大尉の娘》(1836)を書いた。妻とフランス士官G.ダンテスとのスキャンダルにまきこまれたプーシキンは,37年1月27日ダンテスとの決闘で致命傷を負い,2日後に37歳の生涯を閉じた。…

※「《青銅の騎士》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む