世界大百科事典(旧版)内の顧愷之様の言及
【道釈画】より
…貫休や石恪(せきかく)の芸術がそれであるが,北宋末に至ると李公麟が出て呉道玄流の白描画を復活させ,道釈画に鑑賞画としての変化と表現の豊かさをもたらし,彼の芸術は南宋・元の禅余人物画へと継承される。 道釈画は宋代以降,絵画界の主流とはならなかったが,伏流として底辺で職業的な画工の制作に結びつき,一方,文人たちの鑑賞的な絵画の境域にも一定の地歩をきずき,着色,水墨,白描等の技法をときに応じてとり入れ,相互に影響をし合っていて複雑な展開をみせるが,巨視的には,これを六朝様式の代名詞としての顧愷之様と,唐様式の代名詞としての呉道玄様の交替,かかわり合いとして整理することができる。すなわち顧愷之様は文人趣味と結合し,呉道玄様は職業的な道釈画の典型とみなされた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」