養珠院(読み)ようじゅいん

世界大百科事典(旧版)内の養珠院の言及

【お万の方】より

…紀州藩祖徳川頼宣,水戸藩祖徳川頼房を生む。1616年(元和2)家康没後,剃髪して養珠院と称した。(3)徳川家光の側室(1624‐1711∥寛永1‐正徳1) お梅の局ともいう。…

【久遠寺】より

…もと周辺の水分(みくまり)信仰の対象であったと考えられるが,近世初頭にはすでに七面大明神宝殿が造営されている。また,徳川家康の側室養珠院お万がこの山に登詣,女人禁制を解いたといわれ,このころから男女の登詣がさかんになっていったらしい。現世利益を与えてくれる山の神=七面大明神への信仰は,身延の祖師信仰のひろまりとともに普及していった。…

※「養珠院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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