世界大百科事典(旧版)内の首里三平等の言及
【首里】より
…首里城を中心に王府の各機関が集中し,王国の中枢都市としての機能を備えていた。行政的には真和志(まわし),南風(はえ),西の三つの平等(ひら)(区画)に区分されていたが,これが〈首里三平等(みひら)〉の別称をうんだ。 1879年3月,明治政府は王国体制を廃して沖縄県の設置を断行,国王尚泰に首里城の明け渡しを命じた(琉球処分)。…
【南風原[町]】より
…沖縄島(本島)南部,那覇市に接し,海には面しない。町域全体が起伏のある丘陵地で北部は台地となって首里に続き,国場川とその支流に沿った沖積地は肥沃な土壌で,琉球王府時代には首里三平等(みひら)のうちの南風平等(はえのひら)に属し,王府の直轄地であった。古くは稲作,近世末期にはサツマイモ中心の農村であった。…
※「首里三平等」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」