世界大百科事典(旧版)内の馬島流の言及
【白内障】より
…平安末期の絵巻《病草紙(やまいのそうし)》にある眼病の治療は,白内障の男に眼医者が針をたてて手術している図であるといわれる。日本では長く〈しろそこひ〉〈うみそこひ〉といわれ,江戸時代の眼科の名門馬島(まじま)流の元祖馬島清眼僧都は,白内障の針術を得意としていた。また幕末の眼科医土生玄昌(はぶげんしよう)(土生玄碩(げんせき)の子)には,白内障の臨床記録だけをつづった《白内翳手術人名》があり,白内障患者の多かったことが知られる。…
【目∥眼】より
…養老令では両目盲を篤疾(とくしつ),一目盲を残疾(ざんしつ)と規定しており,平安末期の《病草紙》には眼病手術が描かれ,三条天皇の眼病は緑内障であったことが知られている。江戸時代には馬島流のほか41派におよぶ眼科専門医が各地で流派を競っていたことは,日本に眼病の多かったことを物語る。眼病のうち最も恐れられていたのは風眼(ふうがん)で,目が急にはれあがり,血膿が流れ出し,結膜が浮腫し,やがて角膜をかくす。…
※「馬島流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」