世界大百科事典(旧版)内の騎馬戦術の言及
【秦】より
…その後,蘇秦,張儀などが提唱した〈合従連衡(がつしようれんこう)策〉は,この強国秦に対応する中原六国の防衛手段にほかならない。 春秋時代末期から戦国時代にかけての秦の発展の要因として,一つには,秦が騎馬戦術をいちはやく導入したことがあげられる。騎馬戦術は元来,中国にはなかったもので,それは西方異民族の戦術であった。…
※「騎馬戦術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…その後,蘇秦,張儀などが提唱した〈合従連衡(がつしようれんこう)策〉は,この強国秦に対応する中原六国の防衛手段にほかならない。 春秋時代末期から戦国時代にかけての秦の発展の要因として,一つには,秦が騎馬戦術をいちはやく導入したことがあげられる。騎馬戦術は元来,中国にはなかったもので,それは西方異民族の戦術であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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