骨皮左衛門道元(読み)ほねかわさえもんどうげん

世界大百科事典(旧版)内の骨皮左衛門道元の言及

【目付】より

…彼らは小舎人(こどねり),下部(しもべ)などとは別で,侍所頭人あるいはその被官である所司代の私的被官であった。持清の被官多賀高忠が所司代のとき(1466ころか)目付であったという骨皮左衛門道元(道源)なる者は,応仁の乱に際して東軍の細川勝元に金品をもって誘われ,手勢300人で稲荷山に陣取って西軍の糧道を断とうとしたが,西軍の勢に攻められて〈所々ノ悪党・物取(ものとり)共ナリケレバ〉(《応仁別記》)散り散りに逃げ失せ,道元も女装して逃げるところを山名勢の〈河原ノ者〉に討ち取られたという。これでみると,江戸時代の目明しに類する存在であったらしい。…

※「骨皮左衛門道元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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