世界大百科事典(旧版)内の高松地方裁判所差別裁判事件の言及
【被差別部落】より
…水平社は,被差別部落大衆の生活向上への切実な願いを直視し,従来は一貫して排してきた〈改善費〉の位置づけ方を見直し,1933年の第11回大会で提唱した〈部落委員会の方針〉において,〈改善費〉を被差別部落への〈恩恵〉としてでなく基本的権利に属するものとみるべきだとして,〈改善費〉闘争の展開を説くとともに,それの拡充と,運用面での民主化を強く打ち出し,さらには,融和団体,青年団,農業組合などの既成の団体にも被差別部落大衆が加入して,その内部から民主化のための積極的行動を起こすようにと呼びかけるにいたったのである。
[〈高松地方裁判所差別裁判事件〉]
1933年(昭和8)6月の〈高松地方裁判所差別裁判事件〉に対する反対闘争は,この時期の部落解放運動にとっては,きわめて重要な意義を担った。事件の発端は,娘の愛人が被差別部落出身者であることを知った親が,相手方に対して離別を迫ったがいれられず,被差別部落の出身であることを黙して娘との同棲生活に入ったのは〈詐欺・誘拐〉にあたるとして告訴したのに発する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」