高瀬荘(読み)たかせのしょう

世界大百科事典(旧版)内の高瀬荘の言及

【一向一揆】より

…これは〈百姓トリ立テ富樫〉とか〈百姓ノ持チタル国ノヤウ〉などといわれ,農民勢力を背景にした加賀三ヵ寺(波佐谷松岡寺,若松本泉寺,山田光教寺)などの蓮如一門の寺院や門徒化した国人などの支配する加賀の〈門徒領国〉が実現した。 これに先んじて,1481年東大寺領越中国高瀬荘では年貢問題で百姓と在地領主の石黒光義が争い,井波の瑞泉寺などを中心とする一向一揆が蜂起して石黒氏を滅ぼし,越中西部に門徒の支配権を確立した。このような北陸地方における一向一揆の蜂起は,直接には蓮如の教説や扇動によるものでなく,信心を得ることによって自信を得た門徒が,荘園制の支配やこれに寄生している在地領主,守護,宗教勢力の抑圧に対抗しておこし,結果として地域権力を奪取したものであった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」