世界大百科事典(旧版)内の《鬼上官漢土日記》の言及
【加藤清正】より
…幕府成立事情に関する歴史に取材した出版物,劇化上演等は法的に禁じられていたため,時代も足利期に設定され,《本朝三国志》《日吉丸稚桜(わかきのさくら)》《三国無双奴請状(やつこのうけじよう)》《祇園祭礼信仰記》《絵本太功記》などの浄瑠璃に,正清,虎之助などの仮名で,脇役として現れた。清正を主役とした作品は1796年(寛政8)11月大坂・豊竹座上演《鬼上官漢土日記(きじようかんもろこしにつき)》(近松柳助ら作)で,朝鮮での清正を描き,大地震のとき城にかけつけ,秀吉の勘気がとけたという〈地震加藤〉の趣向もしくまれた。翌年1月大坂・中の芝居上演の歌舞伎《けいせい遊山桜(あそやまざくら)》(辰岡万作ら作)では清正が毒殺されたとの俗説によって〈毒酒の清正〉が劇化され,のち1807年(文化4)9月大坂・大西芝居の浄瑠璃《八陣守護城(しゆごのほんじよう)》(中村漁岸ら作)にも毒酒の件がとり入れられた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」