世界大百科事典(旧版)内の《鬼鹿毛無佐志鐙》の言及
【忠臣蔵物】より
…しかし,この事件が大いに舞台をにぎわせるようになったのは,10年,浅野家の再興が認められてからであった。すなわち同年6月大坂篠塚座で,事件を小栗の世界に仕組んだ吾妻三八作《鬼鹿毛無佐志鐙(おにかげむさしあぶみ)》が上演されて,120日間の長期興行を記録。それをきっかけに,同7月京都の夷屋座が世界を《太平記》に求めた《太平記さゞれ石》および後日狂言《硝後太平記(さざれいしごたいへいき)》を上演したのをはじめ,京坂の諸座が競って赤穂浪士劇を演じた。…
※「《鬼鹿毛無佐志鐙》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」