《魯敏遜漂行紀略》(読み)ろびんそんひょうこうきりゃく

世界大百科事典(旧版)内の《魯敏遜漂行紀略》の言及

【川上冬崖】より

…1851年(嘉永4)御家人川上仙之助の養子となり,56年(安政3)蕃書調所に出仕し,画学局の設置とともにその絵図出役となり,高橋由一をはじめ明治初期に活躍する洋画関係者を指導する。画学局時代の仕事として知られているものに,横山由清訳《魯敏遜漂行紀略》の挿絵があり,これは洋風挿絵の嚆矢(こうし)とも言われている。65年(慶応1)の長州征戦には製図技術者として従い,維新後には沼津兵学校に西周とともに絵図方として招かれる。…

※「《魯敏遜漂行紀略》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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