魯詩(読み)ろし

世界大百科事典(旧版)内の魯詩の言及

【申培】より

…前141年に武帝が即位して明堂(めいどう)建立の議がおこると,弟子の王臧,趙綰(ちようわん)らの推薦で召聘され太中大夫に任ぜられたが,儒教を好まぬ竇(とう)太后によって建立が廃止せられたため,免職されて帰郷し,数年にして没した。《詩経》研究において申培の学派を魯詩という。他に斉詩,韓詩,毛詩の学派があったが,両漢時代,とりわけ権威のあったのは魯詩であった。…

※「魯詩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」