世界大百科事典(旧版)内の鳥羽の西大路の言及
【鳥羽作道】より
…元良(もとよし)親王(陽成天皇皇子,943没),元日の奏賀の声,甚だ殊勝にして,大極殿より鳥羽の作道まで聞えけるよし,李部王(醍醐天皇皇子,重明(しげあきら)親王,954没)の記に侍るとかや〉という逸話を伝えている。白河上皇により鳥羽殿が営まれてからは〈鳥羽の西大路〉とも呼ばれ,離宮へ至る表街道となり,この道を南下し淀から舟で淀川を下るコースが利用された。現在は旧観をほとんど失っている。…
※「鳥羽の西大路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」