世界大百科事典(旧版)内の鳳停寺極楽殿の言及
【高麗美術】より
… 高麗文化は,前半には遼の,後半には元の影響を受け,また,江華城に遷都中には,元に圧迫されて南遷した宋との交易を通じて宋風の建築様式(日本の天竺様(大仏様))が導入された。朝鮮における木造建築最古の遺構である鳳停寺極楽殿(12世紀)と,浮石寺無量寿殿(13世紀)の斗栱(ときよう)形式や,二重虹梁蟇股(にじゆうこうりようかえるまた)形式を基本とする架構方法は,唐様式を根強く継承している。また,鳳停寺極楽殿の頭貫(かしらぬき)木鼻を垂直に切った形式や,母屋桁(もやけた)下の架構の発達などは遼代建築の影響といえ,肘木(ひじき)繰形の形式には南宋伝来の天竺様の影響が認められる。…
【寺院建築】より
…高麗時代後半の建築には強い胴張りをもつ柱,斗栱(ときよう)形式に三国時代以来の古い要素をなおも残しているが,三国統一前後から唐文化の影響を強く受けて統一新羅時代に定着した唐様式を継承している。例えば,現存最古の木造建築である鳳停寺極楽殿(12世紀)や浮石寺無量寿殿(13世紀)の斗栱形式や,二重虹梁蟇股(かえるまた)を基本とする構造形式に唐様式が根強く生きている。しかし,鳳停寺極楽殿の頭貫(かしらぬき)木鼻を垂直に切った形式や,母屋(もや)桁下架構の発達などは,中国華北の遼時代建築細部を受容したものであり,また,肘木(ひじき)下端の繰形は12世紀ころに南宋から伝わった様式(日本でいう大仏様=天竺様)の影響と認められる。…
※「鳳停寺極楽殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」