世界大百科事典(旧版)内の鳳凰台古墳の言及
【新羅】より
… 5世紀後半になると,新羅は高句麗,倭の勢力を排除しながら洛東江中流域に進出し,百済を救援して高句麗と戦うことさえあった。この時期には王者の権威が拡大し,その墳墓は直径82m,高さ21mの鳳凰台古墳(慶州)をはじめ大型になった。またその副葬品には加羅諸国と同様農耕器具が多く,この社会の基本が農耕生産であり,王者の権威が農耕祭祀にあったことを示している。…
※「鳳凰台古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」