《鹿島立神影図》(読み)かしまだちしんえいず

世界大百科事典(旧版)内の《鹿島立神影図》の言及

【春日曼荼羅】より

…以上を基本形とするが,鎌倉後期にいたると,神国思想によって神仏習合は高揚期を迎え,春日曼荼羅の制作も飛躍的に増加し,形式も多様化する。春日の神域を浄土と認識することから,宮曼荼羅の上部に本地仏の浄土を描いた〈春日浄土曼荼羅〉,興福寺との一体化から,社景の下部にその伽藍を加えた〈社寺曼荼羅〉,また鹿曼荼羅からは,大明神が鹿に乗って鹿島から春日に影向(ようごう)したという草創伝説を絵画化した《鹿島立(かしまだち)神影図》などが出現した。このころには春日信仰も藤原氏専有のものではなく,興福寺を中心とした南都在地に浸透し,信仰自体が多様化するので,曼荼羅の形式も変化したものが多くなる。…

※「《鹿島立神影図》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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