世界大百科事典(旧版)内の黄尊素の言及
【黄宗羲】より
…浙江省余姚県の生れ。彼は宦官の魏忠賢の専権横暴を糾弾して獄死した東林党の黄尊素を父としていたので,幼少のときから強い政治意識をいだいていた。崇禎帝の即位(1628)の後,父の名誉は回復されたが,刑部で審問中の魏忠賢一味の許顕純を鉄錐で刺し,同じく李実の賄賂を暴露するなど,宦官派の罪行をきびしく追求した。…
※「黄尊素」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…浙江省余姚県の生れ。彼は宦官の魏忠賢の専権横暴を糾弾して獄死した東林党の黄尊素を父としていたので,幼少のときから強い政治意識をいだいていた。崇禎帝の即位(1628)の後,父の名誉は回復されたが,刑部で審問中の魏忠賢一味の許顕純を鉄錐で刺し,同じく李実の賄賂を暴露するなど,宦官派の罪行をきびしく追求した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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