世界大百科事典(旧版)内の黎文休の言及
【大越史記全書】より
…漢文で書かれた編年体のベトナムの正史。はじめレ(黎)朝の史官ゴ・シ・リエンNgo Si Lien(呉士連)がチャン(陳)朝のレ・バン・フー(黎文休)編《大越史記》(1272)とレ朝のファン・フー・ティエン(潘孚先)編《大越史記続編》(1445)を書き改め,編目を新たにして中国から独立するまでを外紀全書5巻,ディン(丁)朝からレ朝成立までを本紀全書10巻として自撰し(1479),この書名でレ朝聖宗に上進した。その後16世紀に撰修された撰者不明の本紀実録6巻と,1665年にファム・コン・チュー(范公著)が編修した本紀続編3巻により神宗までのレ朝史が加えられ,23巻の正史が成った。…
【チャン朝】より
… チャン朝期には科挙制の確立をはじめ,中国の儒教文化が大量に導入された。レ・バン・フー(黎文休)の《大越史記》をはじめ,漢文による歴史書の編纂が行われる一方で,民族文字チュノム(字喃)が盛んに用いられるようになり,また民俗信仰が神統譜としてまとめられる(《越甸(えつでん)幽霊集》)など,民族文化が著しく発展した時代でもある。【桜井 由躬雄】。…
※「黎文休」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」