黒人法典(読み)こくじんほうてん

世界大百科事典(旧版)内の黒人法典の言及

【奴隷廃止運動】より

… もっとも,全ヨーロッパ的にみると,すでに1792年にはデンマーク王が10年後の奴隷貿易廃止を命じていた先例がある。またフランスでは,1685年に〈黒人法典〉が出されて,一般に奴隷の扱いが穏やかだったといわれるが,1788年にはパリで〈黒人の友協会Société des Amis des Noirs〉が設立され,奴隷貿易や奴隷制への批判を強めていた。フランス革命ではそれらの廃止は実現しなかったが,西インド諸島のフランス植民地の中心サン・ドマングでは,F.D.トゥサン・ルベルチュールとその後継者J.J.デサランの活躍によって,1804年,奴隷と混血者(ムラート)による反乱が最終的に成功してハイチ共和国の独立が宣言され,事実上奴隷貿易の意味はなくなり,14年に結ばれたイギリスとの協定に19年以降の奴隷貿易廃止が明文化された。…

※「黒人法典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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